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織部焼 美山陶房 

織部焼  美山陶房

織部焼一式名前入
織部焼の歴史

織部焼は、慶長10(1905)年頃、岐阜の美濃地方で千利休の高弟で戦国武将でもあった古田織部の指導で創始された陶器です。志野織部や黄瀬戸、瀬戸黒・黒織部とともに「美濃焼」の一種といわれ、深い緑釉と大胆で自由奔放な作風が特徴です。

一方、古くから陶器の産地として発展してきた愛知の瀬戸は、江戸後期、全国的な需要の高まりを受けて磁器の生産を始めるようになりました。そんな中で織部は瀬戸の陶器として生産されるようになり、現在は「瀬戸織部」という新たなブランドを打ち立てています。

 美山陶房 

愛知県瀬戸市の赤津にて130年前に開かれた窯です。二代美山は明治・大正時代は割烹食器を得意とし、全国にその名を広めました。戦後は三代が割烹食器を手掛け、一般家庭の食器も作るようになりますが、50年代に入って自身の仕事を見直し、富山県黒部市に移住。瀬戸の陶房は四代目の寺田康雄氏を中心に引き継がれ、美山陶房となりました。現在は五代目の寺田鉄平氏も作家活動をしています。

【寺田康雄】昭和23(1948)年、愛知県瀬戸生まれ。多摩美術大学彫刻科卒業後、国内外で個展を開催。茶道具や割烹陶器はもちろん、モニュメントや陶壁などのパブリックアートも手掛け、世界各国で個展を開催している。愛知淑徳大学教授。愛知教育大学講師。中京大学オープン講座講師。著書に『やきものをつくる 古陶から学ぶ土と釉の基本』(双葉社)、『見てわかる陶芸材料』(双葉社)など。

寺田康雄作家様

美山陶房と萬谷 (萬谷和子/談)

【出会い】

東日本大震災から1年ほど経った頃、私は以前より親交のあった京都の大徳寺五二九世・小野澤寛海老師に、東日本大震災の供養と茶筌供養を依頼しました。そして平成24(2012)年3月28日、40名の参加者と静岡県伊東市にある聚光院伊東別院を訪ねたわけですが、その時に老師からご紹介いただいたのが美山陶房の寺田康雄氏でした。この時はご挨拶程度でしたが、以後、親交を重ねて今では雲海の仲になっております。

【永代供養塔「寂光廟」】

寺田氏と初めてお会いしてすぐの春、私は宗派にこだわらない永代供養塔の必要性を強く感じ、酒田市の法華経妙法寺総代会の皆さんと「寂光廟」の建立に向けて動き始めました。その中で寂光廟のモニュメントを石か陶器で作ろうとの話が決まり、ふと浮かんだのが寺田康雄氏です。氏は私が今まで知り得た陶芸家とは、考え方もスケールも独特で、伊東でお会いした時の温かな人柄も私を惹きつけました。さっそく連絡するとご快諾いただき、制作に取り組んでいただくことになりました。デザインが決まり、焼成するにあたっては、三重県尾鷲市に新しく薪の登窯をつくり、永代供養塔建立地の妙法寺から切り出した松を瀬戸に運んで鉈で薪の長さに切り、2か月かけて乾燥させ、尾鷲に運び入れました。松はカロリーがあり焼物には最適です。登り窯を70時間も焼き続ける作業を、氏の友人も手伝ってくれました。

5月10日2015年 【永代供養塔「寂光廟」

5月10日2015年 【永代供養塔「寂光廟」のモニュメントの序幕式。

こうして平成27(2015)年4月、横1m70㎝、縦2m40㎝、奥行き59㎝のモニュメントが掲げられた寂光廟が完成しました。その後、間もなく動き出した仁和の制作を、寺田氏に依頼したのはいうまでもありません。

 仁和具_織部焼の特徴

織部焼は、武士が使う茶器として生まれたため、深い緑釉と大胆で自由奔放で男性的な作風が特徴です。中でも寺田康雄氏の作品は、やきものの様式美や伝統にのっとった成熟した技を持ちつつも、現代的で豪放な力強さとのびやかさを感じさせる作風で、海外からも高く評価されています。

寺田康雄 と萬谷和子、11月2014年

寺田康雄 と萬谷和子、11月2014年

 

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